結婚は不幸せだと思い込んでいた私【前編】
2020年は、実に不思議な一年だった。
ライフスタイルや生き方についての考え方が変化した一年でもあった。
そして、年の瀬を迎える今日この頃、私の「結婚観」が大きく変わったので、それも記録としてブログに書き残しておこうと思う。
この話は私の育ち方、生い立ち、親の存在がいろんな意味で関係している。
話がめちゃくちゃ脱線するので、結論を言っておくと、
私は幸せな結婚がしたくなったということを伝えたい。
〜それではどうぞ〜
もともと私には結婚願望はそこまでなかった。
紙切れ一枚の婚姻届を出す、ということに執着はなかったし、むしろ
パートナーと同棲しているとか、事実婚みたいな状態が心地いいのだろうと思っていた。
そもそも日本て夫婦別姓じゃないし、女性ばっかり名字変えなきゃいけないなんて不便すぎるだろとブツブツ言っていた。(これは結婚観変わってもそう思う)
農家や家業を守るために家族と後継者を作る必要があった大昔と違って、結婚しなくても働き、生きていく選択がしやすくなった現代。
それでもわざわざ結婚するわけとは?と思っていた。
もし結婚することを選ぶとしても、私はアラフォーで結婚すればいいや、と呑気に構えていた。
なぜなら、私の両親、年の離れたいとこがアラフォーで結婚していたから。(母もいとこも37歳で初婚)
さらに2人とも高齢出産(母に至っては38歳と40歳の時に出産)というルートをたどっているため、それを見てきた私としては
晩婚・高齢出産も実際可能なのでは?30代後半でも結婚してきた大人が身近に2人もいるわけだし、焦ったりしなくていいでしょ!まだ20代だし、まだまだ恋愛したいしマイペースで行こう☆
という単純な思考回路ができてしまったのだ。
少し前の私に喝を入れてやりたい...。
私よ!!!その考えは甘すぎる!!!!
そもそも私の両親が結婚できたのは奇跡みたいなもんだし、いとこは授かり婚だったし、私の想像する結婚・出産とは時代も状況も違うのだ。
〜参考までに両親の馴れ初め〜 (なんの参考?)
大学時代に品プリのテニスコートで出会う。
父、母に一目惚れ。母とはデートしたものの脈なしで終わる。
15年後。田舎に戻った父は、母を忘れられず年賀状を送る。(なぜ住所知ってたかは謎)
東京でバリキャリウーマンとして働く母と再会し、交際0日で結婚する流れに。
母「まあ結婚してみてもいっか、海外駐在の話をこれで断れるし!」
.........。
冷静にこの状況滅多になくない?
15年経って2人とも独身ってかなり奇跡だし、交際0日で結婚の展開ってドラマかよ、
しかも母の「結婚してみてもいっか」ってなんや!!
これで私もアラフォーで結婚できると思ってたとか恐ろしすぎる。自分を何様と思ってたんだろ。両親はたまたまアラフォーで独身でタイミングが良かったから結婚できただけで、ここから2人も健康なこどもを授かることができたなんて生物的な年齢を考えればすごいことだと思う。
今でこそ高齢出産って珍しくないけど、25年前だと珍しい方だし、実際私の小学校の同級生のお母さんたちは20代〜30代が多くてギャルママとかいたからね。
話は逸れたけれど、兎に角私はアラサーアラフォーでも結婚できるという両親の実例を見て、それに勇気をもらい今まで生きてきた。倫子がタラレバしてKEYにぶった斬られても、怖がりながらものんびり息してた。
kc.kodansha.co.jp
ところが2020年、新型コロナウイルスによって全世界が脅威にさらされる。
人々は次々にウイルスに感染し、家族を失う者、職をなくす者、孤立する者が溢れ返る。
大変な試練が次々と人類を襲いかかり、人生を見つめ直す人が増え、住居や働き方や人との関わり方が大きく問われた。
その変化は例外なく私のもとにも訪れた。
いつ死んでもおかしくない。ならばせめて独りで死にたくはない。
できれば好きな人と一緒に歳を取りたいし、シングルも楽だけど2人で楽しめた方がもっと楽しいはず。
そう思い立ち、まずは彼氏が欲しいと思った私だが、今話題の婚活も視野に入れようと考え出したのであった。
婚活について調べ始めた私は、ネットで見つけた結婚相談所のブログにどハマりすることになる。
それがこちら
結婚物語。という結婚相談所の仲人Tさんが、文才をこれ見よがしに発揮し書き綴るブログである。
読み物として単純に面白いので読んでみて欲しい。かなりの熱量が感じられる。
ところで、タイトルを「結婚は不幸せだと思い込んでいた私」とした理由はきちんとあるのだが、まだその話もできてないくらいこの話が長い(脱線が多い)ことがわかったので、本題は次回書くことにする。(前置き長過ぎかよ)
次回「結婚は不幸せだと思い込んでいた私【後編】」
ブログを通して婚活を知る私は、自分が持っていた結婚観は思い込みだということにだんだん気がつき...?
仲人Tさんのブログが面白くて書き方よせました。
いつだって最高の自分で
先日25歳になった。
地球に生まれた日から四半世紀もたった事になる。
去年の今頃はよくブログを更新していて、誕生日の前後も思いの丈をしっかり記録していた。
今年の誕生日は、前日から大切な友人と素敵な時間を過ごした。
この不思議な時世だから、遠出などせず、室内でゆっくり楽しんだ。
誕生日当日には自分と向き合う時間を作り、25年間の振り返りをかねて
「人生曲線」を描いた。
描いてみてわかったのは、どうやら私の人生の波は
「自分の強い意志とワクワクする気持ちがあるか」どうかで高くなったりならなかったりするらしいということ。
自分の強い意志とワクワクしかない台湾生活は25年間の人生で最も高波に乗っていたし、
入りたくて仕方なかった高校での日々もかなりモチベーションが高かった。
逆に、悩みが多かった前職やつまらない小学校で過ごした時期は気持ちも暗く、モチベーションも低かった。
人生を曲線にして振り返ってみて、わかったことは、いつでも「今が一番だ」と
思える人生にしたいということ。
あの頃は良かったとか、昔に戻りたいとか思いながら今を消耗するなんてもったいない。
MacOSみたいにしょっちゅう思考をアップデートしたいし、
私はいつでも最新・万全な状態でいたい。
こう考えると歳を取ることも楽しみと思えるかもしれない。
アンチエイジングなんてしない、ナイスエイジングするのみ。
25歳も私らしく生きる。
まだ24歳なのに
もう25歳になった気がしてる。
「今年25の年」っていうのを意識しすぎたからか、それを言いすぎたからか、24歳の出番が奪われた、ちょっと損した気分。
去年の今頃は23歳だったなんて。
23歳から25歳は、気持ちとしてはそんなに変わらないのに、どうもこの2歳のカウントは大きい。
それはそうと今日は不愉快なことがあった。
わたしは「〇〇してもらってもいいですか」と頼まれることに違和感を覚える。
なんだか上から言われているような気分になる。
「〇〇していただけますか」とか
「〇〇してください」とかの方が丁寧に感じるし、聞こえもいい。
その、「してもらってもいいですか?」を仕事中に言われてなんだかむっとした。
イライラ期なのか。
さらには定時が過ぎて帰ろうと立ち上がった瞬間、上司に仕事を振られた。
PCはシャットダウンしたあとだった。頼まれたことはメール一通送るだけ。
明日の朝でもいいものをわざわざPCを再起動してまでやることの無意味さ...
3、4行のメールを添削されたのにも腹が立った。
じゃあ自分で送ってください!!!
定時なんで帰りますって言葉が下の歯付近まできてたのを飲み込んだけども。
こんなことでイライラしてるうちは25歳にはなれない。
次の年は、余裕をもっと持ちたい。
赤裸々トークでもしようか
先日姉からこの動画のURLが送られてきた。
生理だけを取り上げた番組のURLである。
30分という枠ではあるものの、生理だけをテーマにした番組が大きい局で作られて放送されたとはかなり驚きであり、とてもポジティブだと思う。
ということで私も生理について思うことを書きたくなった。
それも私自身の生理について色々とシェアをしたい。
おそらく
「プライベートのことじゃない?」とか
「男性の我々には生理はとっつきにくい」と考える人もいるだろうけれど、そういう人にこそ読んでほしい。
そもそも生理はヒト属ヒト科のメスの特徴なのだから人類の共通項だし、隠すべき話題でもない。(と、内心思ってる)
そして男性がとっつきにくさを覚えたのは小学校高学年の時に経験しただろう
「保健体育の授業で女子だけ集まって何やら伝えられてるアレ」
的な認識を頭にインプットしてしまった(もしくはされた)ことによる弊害だと思うけれど、男性にも生理のことは知っておいてほしい。
超基本的な「生理って何?」の部分は私よりわかりやすい解説がごまんとあるのでググれば一発、割愛する。
24歳になるまで、私はかなりの生理不順だった。
3ヶ月から半年生理がこないなんてザラで、たまにきたらば、やっときたなー前いつきたっけ?と思う程度だった。
さらにそんな生理も3日ほどでじゃ、また様子見てくるわ!といった具合に終わるので、軽く、生理痛のしんどさやけだるさをあまり感じなかった。
それでも生理前は胸が張るし、おりものは茶色いし、めちゃくちゃ食欲が沸いたりしたので備えることができた。
この歳になってようやく生理の周期が安定しだしたからなのか、知らなかった生理痛の痛みをだんだん実感するようになった。
人によって痛くなる部分は違うけれど、私は特に腰が重くなる。イメージ、腰の左右に鉄の重りをぶら下げてる感じ。
生理がきた時の朝は起き上がれないほど体が重いし眠いしだるい。
それでもって、世界の全てにめちゃくちゃ嫌気がさすくらい気分がすぐれなくなる。
生理の周期が見えてくると、だんだんと自分の感情の波も予測できるようになった。
例えば、「来週から生理来そうだからきっと気分落ち込むな、人に会わないでおこう」とか
「ゆるめな服を着て平日乗り切ろう」とか
「生理明けの○日以降は映画を見に行こう」とか、こういうことを前提に考えて日程調整ができるようになった。
(みんなはどう?)
そして今になって生理痛緩和のための方法を探り始めている。
ピルとか頭痛薬を服用したことはないし、温めるか休むか、あとは最近なつめを食べるかくらいしか対策はしてないから、いい方法があれば知りたい。
読者様、お友達の皆様、ぜひ教えてください。
ちなみに最近の2回前の生理から「月経カップ」デビューを果たし、試行錯誤しながらもエコな生理ライフを過ごし始めている。
月経カップとは何かと言えば、経血をナプキンで吸収するのとは違い、膣内にシリコン製のカップを入れて経血を受け取るものである。
上の動画でも紹介されている。
生理用ナプキンは自然に還るまでに500年かかると聞いておったまげ、繰り返し何年も使えるカップを選んだ。
ナプキンはかぶれ、におい、ムレなどかなり不快感ストレスがあったものの、月経カップはそれらがないので幾分か楽である。
ただ、月経カップを取り出す時の手は血まみれになるので、外出時はだれでもトイレを探してすぐに手を洗える場所で交換を済ます。
ちょっと大変だけど、経血の量も測れるのでので、まあ手を洗えばいいか、とおもうことにしている。
生理って男性の前だとまだまだ話題にしづらい。
男性は色んなことを考えて、きっと「深く突っ込まずそれとなく頷いておこう」とか思うだろうし、生理について女性に質問したりすると
「この人色々聞いてきてキモい、うざい」
と思われかねないだろうから(人と関係性によるが)
なかなかお互いの理解が進まないような気がしている。
それでも、パートナーが女性で、生理の悩みを持っているなら、男性諸君にはぜひ相手への心遣いをしてほしい。
「生理痛辛くない?ちゃんと休んでね」
「体は温めるんだよ」
「キツかったら何でも言ってね」
「皿洗いは任せて」
「マッサージしようか」
など色々言えることがあるはずなので、思いやりを持って接してほしい。
(普段からこうだと最高)
なぜなら、生理は大体の女性が不快で痛くてつらいと思っているから。
迎えたくて迎えたものではないから。
それでも生命の循環に必要な現象だから。
女性同士なら共感力があるから、特筆するまででもない。
同じように、女性も男性の身体のつくりや性質を理解しておく必要がある。
お互いにもっとオープンに話す必要があるし、「慎ましく隠すなんて時代遅れだよね」と言える時が来るのを願う。
忘れないように
混沌としたこの年を忘れないように
当たり前なんてないということを忘れないように
台湾での日々を忘れないように
喜びを感じる瞬間を忘れないように
与えられたものを忘れないように
愛する存在を忘れないように
愛した記憶を忘れないように
表現することを忘れないように
発信すれば受信されることを忘れないように
生への肯定を忘れないように
深呼吸を忘れないように
怒るより微笑もう
アフリカマラウイの水事情
私には一つ上の姉がいる。
姉は、大学時代に学校の授業の一環で、アフリカ南東部に位置するマラウイ共和国に行ったことがある。姉の大学の学科には名物プログラムがあり、それは、学生が興味のある地域を選び、現地を訪れ、その土地の人と交流し社会や文化やあれこれを学び吸収するというものだった。
姉はアフリカを希望し、約2週間、大学の仲間と担当教授とチューターと一緒にマラウイに行った。
アフリカ マラウイの地図
マラウイには、国土の4分の1を占める世界遺産の「マラウイ湖」がある。
マラウイ人は生活で必要とする水をこのマラウイ湖から調達しており、洗濯、水浴び、皿洗いなどをこの湖で済ます。
参考動画
姉は、マラウイの湖のそばの村でホームステイをした。
家族でマラウイ湖まで皿を洗いに行った時の姉の話が印象的だった。
マラウイ湖の砂を洗剤がわりにして、水で汚れを落とし、皿を洗うのが現地でのやり方だった。皿に残ったおかずのソースやシマ(マラウイの主食。トウモロコシの粉をもちみたいに練った食べ物)は湖の魚たちが食べるらしい。
洗剤は使わず、自然の力をお借りして皿を洗う。食べ物は植物や魚や肉などだから、それを湖に戻すようなかたちで、自然が循環していく。
マラウイの人々は、生活の営みと自然が密接で、自然に触れることで生きているのだと感じる話だった。
だから、良かれと思ってマラウイの家に水道を通してはいけない。そうしたら自然との調和は失われてしまう。
日本にいると、蛇口から水が出るのは当たり前で、そんなこともないなんて不便だと思ってしまう。桃太郎のおばあちゃんみたいに川で洗濯なんてできないし、衛生面やら安全面やら考えることが多いから自然の力をお借りすることは、特に都会では容易ではない。
便利で綺麗で人工的なもので囲まれていると、いいこともあるけれど、五感は鈍り、自然へのありがたみや感動が薄れてしまう気がする。
だから、意識的に地球を考えたり、緑を感じに行ったり、浜辺や山に行きたい。
私が2020年に考えることの多くは、地球と自然環境についてばかりだ。