職場行っても休んでも辞めてもいい、と思う
【前置き】
非常に個人的内容で、私見濃厚です。
危なっかしい23歳が書いています。
読みにくいと思います。読まれたい方はお読みください。どうか心の中だけで、自由に意見や感想を述べてください。
このブログを読んでくださりありがとうございます。
息を吸ったり吐いたりする度、仕事が合わない、辞めたいと思うようになった2019年4月。
やっていた仕事は全て辞めた人または辞めないけれど別の仕事を始める予定の人から引き継いだもので、5人ほどの課員から順々に引き継がれた。
私が配属された課は私の入社年度とともに新しく作られ、組織も人間関係の構築度合も浅く、まさに発展途上だった。
仕事はルーティンの紙仕事で、何かを新しく生み出すわけでも企画し運営する訳でもなく、計算ドリルなどをさばく要領でひたすら紙仕事をこなす。
プリントが配布されて問題を解いて丸つけして提出する、書いてて驚いたけど本当にそんなことをしていた気がする。
「マイナスをゼロにする」というのが仕事の内容で、緊急案件が頻繁に発生し、息をつく間を探すのにひと苦労。海外の人員とやり取りをすることが多かったから、時差もあり急ぎの時いつ連絡が来るか分からず、机から離れられない。
出来てまもない課で、人がよく辞めた。派遣社員も正社員も、辞めていった。辞めては新しい人が来たけど、続く人は少なかった。
私は自分の手帳に辞めた人の名前と辞めた時期をメモした。辞めた人の数は1年間で片手には収まらないほどになった。次は誰が辞めるのか考えた。そんなことは全く考えたくなかったが、心の準備をしておかないと身が持たなかった。不安だった。
そしてまた、ある課員が異動するという話が共有された。4月中旬だった。
直感的に、彼女の仕事を引き継ぐのは私だとわかった。チームが同じだったこともある、人員不足ということもある。けれどもおそらく、下っ端で仕事を押し付けやすいのが私だったのだと思う。
案の定、上司に呼ばれた。
「ゴンさんに、〇〇さん(異動する人)の仕事を引き受けてもらいたいのだけど」
ああやっぱりきた。
私の中の氷が、勢いよく溶けだした。
今までの私というコップに、入社とともに勢いよく入れられた氷。どれも四角くてよく固まっていて、よく冷えて整っていた。
仕事を続けていくうちに、成長と経験というジュースが注がれて、すっぱい思いも甘い思いも苦い思いもしながら、この会社で美味しいドリンクが完成、その熟成ドリンクをもって社会で価値ある人間になろう、と妄想を膨らませていた。
1年ばかりの社会経験で、コップの底が少し隠れるほどしかジュースは注がれなかったのに、上の方から氷があれよあれよと溶けて、水が混ざってさらに不味そう。その味は、閉塞感と人手不足と疲弊の味。
その瞬間から、もうここでは美味しいジュースは作られないと思ってしまった。
上司に頼まれた仕事は断った。
「辞めようと考えているので引き受けられません」と答えた。
よし言った、ほんの少し気持ちが軽くなった。
私は、私を採用してくれた会社に感謝している。けれども、会社のために働き続け周りにはたらきかけ貢献し評価され出世したいと思えなかった。
ただ毎日同じ時間に起きてしまい間に合うよう支度し会社に行ってドリルに取り組むということに対し驚くほど我慢と労力を必要とした。
かなり乱暴なことを書いているが、そうなんだ、くらいに思ってほしい。
私は批判されたいわけでも、俺の時代は、と昔話で説教されたいわけでも、よく決断したと褒められたいわけでも、これを読んだ人に人生を左右する決断をしてほしいわけでもない。
社会一般論でくくられてはたまらない。
「3年はとりあえず仕事を続ける」の3年の根拠が、あの石の上にも~とかいう諺だったなら、
「石の上にも半年」だったら半年で辞めるんですか?
と考えてしまう。
ただ、私には、今のところ会社勤めが合わなかった。そして、今のところ、本気で、好きな場所で気に入ったと思える仕事がしたいと思っている。
結果、選択として会社を辞めた。
職場に満足しやりがいもありさらに日々ワクワクしている人がいるなら、いいね素敵、心から応援する。
職場に疲れて、朝起きるのが少し遅くなって心に気だるさを感じて、会社休みたいなと思ってる人がいるなら、うん、今日はゆっくりしちゃってもいい、と私は肯定する。
会社が息苦しくてストレスフルで頭が痛くて、本当にやりたいことがあったりやりたいことがなかったとしても適してない、モヤモヤ、ため息、もっとワクワクできることあったと思ってる人がいたとしたら、うん、辞めても生きられるよ!全力で肯定する。
うだうだ書いたけど、結論
ただ私は、働いても休んでも辞めてもあなたの決断を全力で肯定する。
それだけ。