ゴンのヴィーガンライフ(旧ゴンの台湾留学記)

ゴンです。台湾に語学留学していました。ヴィーガン、エコ、ミニマムな暮らしを目指しています。

人はみな大河の一滴

生きづらい、と思う時がある。

生きづらい、息も辛い、痛苦、楽しいことも多くなく、何に時間を使うべきなのか、社会は濁ってばかりいるんじゃないか、こんな世でこの先もずっと生かされるのか、考えに耽けてしまい、モヤモヤと肺のあたりに渦巻ができる感覚が起こる。

私は昔から「共感」の感情が強く、絵本にも映画にも他人の経験談にも感情移入しやすい。そんな時、深く考えたり、傷付いたり、泣いたりしてしまうことがある。

それゆえ、今生きる現代社会の中で、個人のエゴや汚職不都合な真実が垣間見えてしまうと、非常にやるせなさを感じてしまう。

診断されたことはないが、Highly Sensitive Personの気質を持っているかもしれない。

 

こういう時、すぐに心を横たわらせて休ませることができて、ケロっとポジティブに切り替えることができれば良いけれど、私の場合そうはいかない。心の状態をよくすることが、自分ではどうにもできないのであれば他者を頼ることもできるかもしれないけれど、器用ではないから、そんなことがうまくできない。

悩んで悩んで悩んで、ため息をついて食事が喉を通らなくなることも過去にあった。

 

けれども最近、五木寛之氏の「大河の一滴」という本を読んで、少しだけ心が救われた。

五木氏は自身の敗戦の体験や弟さんの死、人生で感じること、世の様々な作品や文献などを引用して「哲学的なこと」や「生きていくためのちょっとしたヒント」をわかりやすい文章で伝えてくださっている。

 

以下、本文から抜粋

「私たちは政治や経済の世界が、実際にはどのように動いてきたかを最近あらためて赤裸々に見せつけられた。命を守る医療や福祉が、どれほどビジネス化し、人間を粗末に扱ってきたかも知った。学校や教育の現場の無力さを、しみじみと感じさせられ、少年や少女たちの考えや行動を理解できない痛みをあじわった。宗教や思想に、いまを生きる強いなにかを求めても無駄のようにも思われてきた」

 

「世の中はときに澄み、ときに濁る。いわば川の流れと同じようなものだ。」

「人間とは哀しいものだと思い、人生は残酷であるのが自然だと考える。それをマイナス思考と恐れることはない。絶望を抱いて生きたからといって、悪い脳内ホルモンが出ては心身をむしばむわけではない。」

 

「存在するのは大河であり、私たちはそこをくだっていく一滴の水のようなものだ。ときに跳びはね、ときに歌い、ときに黙々と海へ動いていくのである。」

「私たちの生は、大河の流れの一滴にすぎない」

 

生きようとしているだけで、すごいことなのだと感じることができる。